昨日のblogで実父が、戦争末期に海軍兵学校で教え、海軍中尉となっていたこと、お話ししましたが、このことは、海上自衛隊の当時の幹部は、皆知っていました。

一部の方は、私の母方の祖父が、川崎造船の主力工場のトップであったことも、ご存じです。つまり、戦前の軍事工場です。

祖父は、神戸で訓辞中に倒れ、そのまま死亡しましたので、社葬になったそうです。

私が、財務省主計局防衛担当主計官として手がけさせていただいた平成十七年の防衛大綱は、その前年の暮れに、小泉総理、福田官房長官の内閣で弾道ミサイル防衛の導入を閣議決定した時に、「八千億円から一兆円とされていた導入経費は、防衛関係費の枠内にめり込ませる」という前提であった、という理解の下、議論がおこなわれました。

私は、閣議決定は、当時の防衛庁長官も合意しているので、市ヶ谷の防衛庁で責任を持って効率化策を検討してくれるもの、と期待していた部分も、あったのですが、、。
それは、甘い考えで、防衛庁内の検討は、どうせ財務省が切ってくるからなのか?かなり膨張したもので、閣議決定の理解とは相入れず、財務対防衛の交渉が始まりました。
護衛艦について、最も長い時間議論しましたが、固定的な、当時の8艦編成をヘリ運用重視のグループ四隻と、防空重視の四隻のグループにわけ、より機動的に柔軟な対応が、弾道ミサイル防衛についても、離島侵略対処、国際活動、不審船対処、船舶検査活動、邦人輸送、災害派遣、警戒監視等、多様な事態に即応可能な、体制とすること、地域配備の見直しなどにより、一定の減数でおりあってきていました。
世界水準のヘリ空母の導入も決まりました。

潜水艦については、前の中期防衛計画でも、一年一隻600億円、合計五隻の調達で、十六隻体制ということで、これを今回もそのまま認めるかどうかの議論だったのです。
この体制と、調達のベースになっているのは、潜水艦の耐用年数、艦年齢が、約18年というもので、長年主計局が指摘してきたように、他の主要国軍隊の潜水艦に比べて、かなり短く、財政困窮の折からこれを延ばしてくれないか、交渉するのが引継ぎ事項でした。
潜水艦を造れる工場は、国内には、二社、二ラインしかなく、この稼働を維持するために毎年一隻ずつ発注せざるをえないのではないか、という批判も財務省の耳には以前から入っていました。
十年前の大綱では、極東ロシアの潜水艦を念頭においた体制をとり、海上自衛隊も、はじめはそれで説明していましたが、今回の防衛大綱の趣旨が、新たな脅威、多様な事態への対処ですから、それに即した説明にい改めていただき、実際に横須賀で、潜水艦を訪問し、どういう時に脅威を感じるか、特に桁違いの大きさである原子力潜水艦が近くを通るとき、等、くわしくいえませんが、、。
その議論を通じて、私も部下もただのいちども潜水艦というツールが持つ抑止力、情報収集、警戒監視の手段としての重要性自体を否定したことはありません。
米軍は、浅海での行動に制約のある原子力潜水艦しか保有していませんので、日米共同上、日本は当面通常型ということで、それは一つの判断でしょう。
しかし、毎回機能向上予算を要求しながら、稼働率も任務につくまでの日数も、ほとんど進歩しないのでは、ということで、緻密な運行計画を横において何度も議論し、結果的に今回は護衛艦は減らすが、潜水艦は従来どおり、でおり合ったのです。
その際、原子力潜水艦の話も、非常に非公式には意見交換しましたが、公式には俎上に上げていません。
官僚同士が、非核三原則にからむような交渉はできませんし、やるだけ無駄でしたから。
しかし、あれから、六年、米国は未曾有の財政危機のなか、防衛予算の大幅削減を打ち出し、普天間問題で日米同盟も揺らいでいます。
これは、当時の大綱議論の前提と、サブスタンシャルな違いです。
今は野党の国会議員であるわたしが、当時封印していた防衛力強化の球を打ち込んで見ようと考えるのは、けして不自然でもなんでもないことです。

私が手掛け大綱によっても防衛予算はわずか0、2%しか減りませんでした。
当時4,8兆円だった年間予算が、4.7兆円台になっているだけです。
私がしわけたのは、新たな脅威であるミサイルヤ、テロ、細菌、島しょ防衛などに対応する部分、情報収集力の向上等に、旧態依然たる戦車や高射から財源シフトさせようとしたのであって、戦力維持は、大前提でした。
この半年の議論を通じて私が痛感したこと、それはシビリアンコントロールを適切に行うべき国会議員が、ごく一部を除いて、全くの素人であることと、あの小泉政権の下でさえ、この国の政治は、大きな決断ができない、ということでした。
だから、、。